どーも。持論ですミナージュのぼくです。
こないだ休みの日に行ってきました。
京都で有名な某つけ麺屋。
大好きです。
相変わらず美味しかったし。
でもなんか雰囲気変わりました。
スタッフさんの立ち回り…以前が素晴らしかっただけに…目立ちますね〜。
挨拶にしろ立ち回りにしろ一つ一つの動きに違和感がある。
やってることは同じなのに”何故それをするかの意味を考えていない”から同じ行動は同じでなくなる。
わかっかなぁ?
デカくなると薄くなる。
経営者は一から立ち上げ、”お客様のために”と試行錯誤して今を作ったわけ。
所作や振る舞いは経営者の経験と考えから。
形だけでは伝わらないんですよね。
他所見て我がふり直さねばならぬが、うちも同じです。
背中見せて丁寧に説いても本人が理解する努力と行動が無ければ半年やろうが一年やろうが変わりません。
めちゃくちゃ難しいんですよ。
「あ~わかる」
そう考えたあなたは私と同じ、昭和に生きたファイターですね。
どうしたら今の子たちが出来るようになるか一緒に考えていきましょう。
お客様は昔以上に求めます。
ですが今の働き手は(現場提供側は)昔以上には出来ません。
もっと言うと
一人の働き手であると同時に一人のお客さんなんですよね。
我がは努力せんのに一方でお客として一丁前にサービスを求めるんですよ?
これ 現代の大きな摩擦であることは言わなくてもわかりますよね?
じゃあどうしましょう?
働く側の気持ち優先するような商いが成功なんかするわけがない。
働き方改革?
はぁ?
逆ですよ。
今一度、戻らなあかんのです15年前に。
冷ましてスポンジでポンポンして強い鋼が出来るわけがないんです。
熱く熱して叩くから強い鋼が出来るんです。
人間もそうよ。
※あっ語弊の無いように言うときますが暴力はあかんで?強い言葉は愛が無いとあかんし叱咤は激励でないとあかん。
熱いものを触るから冷たいものを感じる事が出来るんです。
痛みがわかるから加減を知り、思いやりが生まれます。
悔しさがあるから努力を知り、達成する喜びを知るんです。
出来たものを食べるだけでは人生半分です。
育てて作る工程があるからこそ そこに感情が乗る→人生に深みが出る。
わかりにくいな^^;
まぁ世間がどう言おうがお客様の前に立つ以上
僕はこうやって表現していきたい。
つけ麺食べてこんなとこまで思考を巡らせる僕は狂ってるかもしれません^^;
変態ミナージュ代表でした。