1/8【保存版:AI時代だからこそ問われる「人間としての価値」】

どーも。今日は哲学的に参るミナージュです。

「知っている」ことと「できる」ことの間には、とてつもなく深い溝があります。

活字で読んでわかった気になっても、行動が伴わなければ現実は1ミリも動きません。

今はAIの時代。

計算やデータ処理、単純作業は任せればいい。ミスもなくなり効率も上がる。

でも勘違いしたらあかん。

「AIができるから、人間は足し算さえできなくていい」わけではないんです。

人間が人間としての基礎力を手放してしまえば、それは進化ではなく退化です。

「多様性」という言葉を盾にして、やるべき努力を放棄するのは違うのであります。

なぜ我々には「余暇」があるのか?

それは「やらねばならないこと」があるからです。

義務や苦労という対極があるからこそ、自由な時間が輝き、この世界は回るんです。

誰もが楽な方へ逃げれば、社会は崩壊し、結局は暴力でしか解決できない原始的な世界に戻るでしょう。北斗の拳ですよ。

人生をゲームに例えるとわかりやすいですね。

最初からレベルMAXで、敵も障害もなく、ボタン一つでクリアできるゲームをやりたいか? そんなもの面白いわけがない。 強い敵がいて、難しいハードルがある。それを悩み、工夫し、乗り越えるからこそ面白いんでしょ?

現実も同じなんです。

便利な世の中で、あえて汗をかくこと。不便さを乗り越えること。

「やらなくていいこと」が増えても、あえて「できること」を増やしていく生き方の方が、人生は豊かになるんじゃないか。

楽をして得た結果に、感動はありません。

不便でも一生懸命やった奴にしか、本当の幸福という感情は訪れません。

その「悔しさ」や「達成感」こそが人間である証であり、生きる喜びそのものなのだと僕は思うんです。

小さな努力を積むのをやめてしまってはいけない。

だから?

だから知っていることを増やすのも大事なんだけどそれを出来ることに変える努力はせなあかんよって話。

哲学のワタシでした。