どーも。今日もひとことミナージュの僕です。
”知っていることと出来ていること”は全然違う
人と生活しているならとても大事な言葉の厚みや重さ。
今の若い人たちはとてもたくさん物事を知っています。
パソコン、スマホの普及で図書館にも行かなくてよくなり、大人や先輩に聞かなくても指先一つで知りたい情報が瞬間に手に入る世の中。
調べて着地がわかるから当然にやらない人がとても多くなった。
昔の時代は着地がわからないからやってみる、聞いてみることで自分の経験として肥やしにしてきたからこそ”自分の言葉として”人に伝えることが出来たんです。
また、
経験したことで自分に必要なものかどうかの選択が出来るようになり
また、
経験したことで感触がわかるんです。
これって全然違います。
「知ってるからどうなん?」
これ答えられないんです今の人たちは。
人の経験を読んだり見たりしたものだけだから経験していないわけ。
リアリティが伝わらない。
言葉が薄いのもそのせいです。
今の子は加減を知らないってよく言います。
殴られた痛みがわかるから心の痛みを知るし
殴った痛みを知ってるから加減を知る。
こんな世の中に誰がした?
くだらん世界になったもんです。
人類みな兄弟?
平等?
仕事を頑張る人もサボる人も
ズルする人もまじめにやる人も
みんな同じ?
アホか。
人それぞれに価値観も違うし欲も違うわけ。
平等なんて絵空事。
戦争せぇって言うてるわけじゃないです。
守るべきものは守らなあかんし戦うべき時は戦わなあかん。
人を殴ることを肯定なんかしたらあかんけど戦い殴り殴られることで得られるものの方が圧倒的に多いと感じます。
僕は小学校の時、いじめられっ子でした。
しかも相当キツかったすよ。
集団にどぶ川に突き落とされて上から小便をかけられたこともあるし
帰りリュックが重いなって思ったら中身が校庭に捨てられて石だらけにされたり
帰り道延々と泥団子を投げつけられたり
”増原に触れると腐る!”って伝染病が流行って、半年以上に渡って無視されたこともあるし
ある日「あいついじめようぜ」って嗾けられ、「いやだ」と断ると、嗾けてきたやつとかばった友達がグルになっていじめられたこともある。
先生にも親にも言えなかった。
格好悪いし、やり返せって言われるのが怖かった。
あと悪さして親父には何百発殴られたかわからないです。
僕は”痛み”を早くから知っている方だと思います。
いじめられないように努力することを覚えたし強くなる術を自分で考えた。
その経験があったからかわからないけど
勝負事には本気で取り組むし、やるって決めたらやり切ることを覚えました。
今思えば、それらの経験無くして今の僕はないし
大事な礎になっているし
なんなら本気で感謝していますよ。
経験無くして人間の厚みなんか作れるわけがないんです。
ちょっと大げさな方向に行ってしまいましたが^^;
要はね
知ってる?だからなんやねん?お前やったことあるんか?
やったこともないのに偉そうに講釈垂れんな。
出来てからモノ言わんかい。
やって実際どうやったかの説明すら出来ひんあなたからは何のパッションも感じません。
そゆことなんです。
あ~間にいろんなもの入れてしまったからわかりにくくなったけど
なんでもやってみる。
この気持ちをもって目の前のことに取り組んでくださいってお話でした。